Soka Spirit

Q & A

Q: 日蓮大聖人は御書に「是には総別の二義あり総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず輪廻生死のもといたらん」(御書1055)と仰せです。この御文をもって、日蓮正宗は、法主のみが唯受一人血脈附法(別の付属)を受けるのであるから、法主を離れては私たちに血脈が流れることはないとしています。これは正しい理解でしょうか?

A: いいえ、そうした解釈は大聖人が言われる「総別」の義に反するものです。日顕および日顕宗では、「総」の付属は全信徒へと解釈し、「別」の付属を僧、とりわけ法主を対象とするものと解釈しています。しかし、この御文で言及される「総別」とは、実際、法華経における釈尊から地涌の菩薩への付属を意味しているのです。(神力品第二十一で)上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩が「別付属」を受け、嘱塁品第二十二で)無量の菩薩が受けたのが「総付属」であります。 この御文では、大聖人とその門下が、地涌の菩薩として法華経の肝心である妙法を流布しゆく使命について強調されているのです。よって、僧侶と信徒の差別を意味したものではありません。宗門は、この御文を文脈を外れて解釈、己の権威付けに利用したのです。

大聖人は仰せです。「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(御書、1337)日顕による「総別」の意義の誤った解釈は、僧と信徒を差別化するなど、大聖人の教えに違背したものなのです。